あの頃の僕らはただくだらない世間お構いなしいつでもバカ騒ぎ
みなさんこんばんは。益若つばさです。
FIELD OF VIEWより突然ですが、皆さんが物心ついて最初に何かにハマった事ってなんですか?
漫画、アニメ、ゲーム、ジターリング、ヤキューマン、バーコードバトラーなど様々あると思うのですが私は「ゆず」なんです。平成の爽やかフォークデュオの方です。
季節はすっかり秋ですが、私がどうしてゆずにハマってどうして離れてしまってどうして今こういうブログを書こうと思ったのか、90年台後半の空気感なんかも残せたらなと長い長いブログをゆっくりゆっくりしたためていこうとおもいます。
時は1999年
僕は中学1年生でした。
当時、毎日のように実況パワフルプロ野球に謹み、兄が持ってきた「これが今一番世の中でカッコいい音楽だ」という言葉に騙され近藤真彦 / THE MATCHY best songs for you を365日ラジカセで聴いていた僕は、ため息もロカビリーになるほどに家業であるコンビニエンスストアのアルバイトをさせられていました。
中学1年生がさせられるコンビニのアルバイトはもちろん何一つ面白い気持ちもなく
ただただ嫌な時間でした。
そんなある日、からあげさんを揚げている時に流れた一曲の歌に激しい感銘を受けました。
「予定時刻は6時」から始まるキャッチーなこの曲にどハマりしてしまい、それ以降店でしか聴けない名前も知らない曲に毎日毎日楽しみを見出していました。
当時はMステやうたばん、歌の大辞典や夜もヒッパレに青森県は日曜のお昼に放送されていたHEY!HEY!HEY!など音楽番組に溢れていました。
今のようにYouTubeもない時代、誰のなんの曲なのかもわからず途方に暮れていた僕は歌番組をきっかけにこの曲はゆずのサヨナラバスという曲なんだという事を知ったのです。
そうなると今度はこの人達がどんな人達なのかめちゃくちゃ気になったわけです。
しかし、ゆずは音楽番組には全くと言っていいほど出演することもなく
その謎が逆に興味をそそられどんどんのめり込んでいきました。
僕は学校にあったパソコン教室でゆずについて調べ始め、彼らが路上でライブをやっていた事、最後の路上ライブに7000人が来たことなど知れば知るほど「なんかめちゃくちゃ凄い人達なのになんでテレビに全くでないんだろ?」と思うようになりました。
「とにかくこの人達の曲をもっと聴いてみたい」
そんな時に友人が「ゆずえん」というサヨナラバスが入ったアルバムをMDで持っているということにたまたま家に遊びに行った時に気がついてしまった僕は、家にMDプレイヤーがないのに「頼むから貸してくれ」と言いました。
帰り道、友人のMDウォークマンとゆずのMDを"1日だけ"という条件付きで借りてきた僕は家に帰って生まれて初めてCD音源でゆずの曲を聴いたのです。
始まりの場所からスタートする(正確にはインストのえんから)この25世記まで語り継がれる名盤に1音目から心を撃ち抜かれてしまい、当時毎日やっていたプレイステーションの「チャルメラ」が全く手につかないくらい一日中エンドレスリピート。
「バイバイ」だけでも3814回くらい聴いてしまう始末。妹にもとにかく聴けと強要し2人でどハマりしてしまい
「今日からギターをはじめる」と父が命よりも大事だと大切にしていたMartinを引っ張り出し
サヨナラバスを弾いてみたいと毎日練習する様になってしまったのです。
CDも持ってないのにゆずの全曲集というのを買ってきて毎日のようにコードの練習
曲は持ってないのに1日中聴いたMDの思い出とどんどんギターでメロディーを奏でられるようになるのが楽しくて、全曲集に書いてある違う曲も弾いてみたくなりました。
ここでようやくCD買いにいくのかと思いきや
僕が初めてゆずにお金を使ったのは「ふたり秋味」というVHSでした。
まぁ正確には親に泣きついて買ってもらったんですが
そもそも彼らが歌ってるところを見たことない僕は音源よりもなによりもとにかく歌ってるところが見たい!聞きたい!!歌いたい!!ととりあえずゆずえんの曲を多く演奏していたライブビデオを買ったのです
もうそれから毎日擦り切れるくらい見て、最初の地下街、贈る唄の名曲にまた心を奪われ
「これは全部の曲をコンプリートしないといけない」とCDショップに駆け込むも
中学生には全部揃えることは難しく、途方に暮れていました。
そんな時「中古のCDを100円で売ってる店ができた」と友人から聞きいてもたってもいられず
行ったこともない所まで自転車を走らせたどり着いたGEOという店。
真っ先に「ゆ」のコーナーに向かうと見つけたゆずの8センチCD。
「やった!!!やった!!!」
と夏色、少年、からっぽ、いつか、サヨナラバスのCDを買いあさり家に帰って爆音で聴いた。
僕はゆずの何が好きだったかというと
声もそうなんですが2人がハモりながら交互に歌う歌割、そして何より北川悠仁と岩沢厚治がお互いに曲を作っているというところなんです。
ゆずは岩沢君が1人で路上で歌っていてそこに一緒にバンドでドラムをやっていた悠仁が途中からバンドじゃなく2人でやり始めたんです
なので初期の曲は岩沢君が作った曲がめちゃくちゃ多いんですが、それがとにかく良くて
じゃあ悠仁はどうなんだってなると悠仁は2人でやり始めてからギターを練習するんですよ
だから最初は岩沢君の曲にタンバリンとかピアニカでコーラスするみたいな感じだったんですが
ギターを練習してコードを覚えて自分で曲を作り出したらまぁそれが天才なんですよ。
岩沢君も天才で全部の曲が100点に近いんですがなんだけど、悠仁は120点が出せる。
夏色、少年、いつか、サヨナラバス、
シングル曲でみんなが知ってるような曲はほとんど悠仁が作ってるんです。
ただ、僕は岩沢君の曲がとにかく好きで
ゆずって2人合わせて全ての色になるというか
岩沢君が淡い色の曲を作って、悠仁が原色の曲を作るみたいな
ゆずのカップリング曲はそれのまさに真骨頂で
夏色のカップリングに大バカ者があるって彼と一緒にお店がしたい!とこの地球の平和を本気で願ってるんだよが同じCDに入ってるのと同じレベルでヤバいんですよ!
CDを手に入れるとひたすら聞いてはギターで新しく練習する毎日
とにかく毎日毎日ゆずの曲を聴いてライブ映像みてギターを弾いてそればかりしていました
少しお小遣いをもらうとGEOに行き
持ってないCDを買い、毎回のようにショーケースに並ぶ「ゆずマンの夏」の2500円とかかれたバカでかい箱を眺めては
あれは一体なんなんだ。。。と悶々とする日々
その頃には、周りは「GLAYかラルクか」「ポケビかブラビか」「光一か剛か」みたいな流れで「ゆずか19か」みたいな雰囲気にもなってきて
多分僕と同じくらいの世代ならほとんどがそうゆうのを通ったんじゃないかなとおもいます
もちろん19も聴いてたけどとにかくゆず。
何よりうたばんなんかに良くでてた19が羨ましくて
「いやいや、ゆずも出してくれよ!!頼むよ!」と
そんな感じに過ごして中学を終えます
ただこの頃ゆずはライブの規模が大きくなりシングル曲のヒットに連れて悠仁がなんとなーく暗くなるんです
そこで出たトビラのアルバムはそれまでとは方向が違う少し暗めの曲が多く
今でこそめちゃくちゃ好きなアルバムなんですが当時は「なんかこうじゃないんだよな。。」
と中坊ながらに思うのですが
そんな時ようやく地上波でゆずが見れる番組が放送されたのです
それが情熱大陸。
デビュー以来ひたすらにライブをやってきた彼らが初めて休みを取って旅行に行く内容で
岩沢君は青森、悠仁はニューヨークへ
そこで流れるトビラの曲と2人が抱えてた悩みなんかを見てるうちにスッと入ってくるようになって
次のシングル「3カウント」に繋がり
とうとう2人だけで東京ドームを弾き語りでやる事に
当時24歳の彼らが2人でギターとタンバリンとピアニカだけでやり切るこのライブ映像は
(画像荒w)
それこそ本当に擦り切れるくらい見ました。
最後に2人だけでやる「てっぺん」
今のゆずからは想像もできないと思うけど
「六大学出のインテリのぼっちゃんには4回死んでもわかんねえだろうけど」から始まるこの曲を5万人の前でギターの弦切りながら歌う2人が本当にかっこよくて大好きなライブ
あのここまで書いてあれなんですがめちゃくちゃ長くないですか?
このままだと5万文字になってしまうんで少し割愛します
本当は初めてライブに行ったこともユズモアの始めの一歩は灰皿の上からとなんで岩沢厚治の大傑作だっていう話も
すみれのアルバムはゆずえんゆず一家に並ぶ大名盤だっていう話もONEのライブではラッキィ池田の振り付けをさせられるとかリボンのチェリートレインには南海キャンディーズがでてくるとかそうゆう話も山ほどあるんだけどとりあえず一回置いておきます。もし需要があればオススメ曲でもそのうち書きます。
でだ、
僕は高校、社会人となるにつれてゆずから離れていきます
まぁ理由は単純にロックバンドにハマったからで
バンド音楽にハマってゆずのポップな曲が刺さらなくなってしまったんです
もちろんアルバムも聴いていたんですが、初期の頃に擦り切れるくらい聞いたのとはどんどん変わっていってしまいました
これは栄光の架け橋の影響かなと個人的に思っていて
栄光の架け橋がオリンピック曲になってとてもヒットしておかげで紅白とかいろんな番組にも出るようになって、それまでは根強いファンが支えてる
ような感覚から国民的歌手になりました。
それ以降ゆずは誰かの背中をそっと押してあげるような応援ソングや壮大なテーマの曲が多くなり
僕が好きだった、過食な健康食とか巨女とかカエルのご帰宅みたいな雰囲気の曲とは離れて行ってしまったと感じるようになったんです。
当時とはうってかわってテレビで見かけるようになるけど、栄光の架橋を持ち上げられる姿に僕は
「ちゃうねん!!ゆずの曲はもっとうちらの心に寄り添うような曲やねん!!背中を押してばっかりじゃないねん!!」
と嘆き、もうあの頃のゆずはいないんだとほとんど曲も聴かなくなりました。
それから数年が経ち2014年
僕はモーニング娘。にハマりました
ゆずと同じ頃にデビューした彼女達は当時とは全くメンバーが変わり黄金期の面影もないくらい若く未来に満ち溢れていました。
僕は彼女らの魅力に突き動かされるたびに
「なんでみんな昔のモーニング娘。の事ばっかで今のメンバーを見ないんだ!」
と悶々としていましたが、その時に「ハッ」としました。
僕は大好きだった昔のゆずの面影を追い続けるばかりで今の彼らと何も向き合ってないなと
自分が嫌いな「昔は良かったけど」っていう娘。に対する眼はまさに僕のことだと思ったんです。
どの口が「今のメンバーを見てくれ」なんて言えるんだと思った僕は10年ぶりにゆずのライブ映像
「LIVE FILMS YUZU YOU DOME DAY1 〜二人で、どうむありがとう〜」
を購入。
これは僕が大好きだった初めてドームライブから10年ぶりに行った東京ドームでの2人だけでのライブ映像でした。
ONE PIECEよりも空白の10年を埋めるために見始めたライブで僕は圧倒されました
変わってしまっていたと思っていたゆずはむしろ当時の雰囲気はそのままにさらに輝きと力強さを増して、大好きだった曲も初めてライブ映像を見る曲も全てがパワーアップしていました。
岩沢くんの奇跡の歌声は色褪せることなく、努力の天才悠仁はさらに歌が上手くなってもはやこんなの誰も追いつけないレベルの2人組じゃん。。。と身震いするレベルでした
そしてこのライブで聴いたまだ聴いたことのなかった僕が離れている間に作られた名曲
「赤いキリン」を聴いて
「あーゆずってなんも変わってなかったんだな」
と涙が出てきてしまった僕は、高濃度アルコールをポカリスエットのようにグビグビと飲み干し深い眠りにつきました。
それからはゆずのTwitterやInstagramをフォローし、新曲がでたら聴いてみたり
前ほどの熱量ではないけれどまたライブにも行ってみたいなと思うようになって今年
オンラインではありますがチケットを買ってオンラインツアーを鑑賞させていただきました。
またこうして好きだったものを好きになるのは何も恥ずかしいことでも間違ったことでもないんだなと
最後のシュビドゥバーを聴きながら感慨深くなりました。
これから10年20年とまた2人の活躍がみたいなと心の底から願っております
最後になりますが僕が大好きな岩沢厚治さんが作った曲だけで構成された至極の岩沢厚治メドレーのプレイリストをお楽しみください
海老反り海老蔵の「最高の岩沢厚治」をApple Musicで
北川悠仁プレイリストもそのうち作ります
本当に色が違って面白いです
それでは
またあおう